いきているから

鍵だらけの部屋にこもった少年時代

人類のちんぽと調和

オ・宅です。

 

男性諸君にとってかなり重要なお話をしたいと思う。
男性器と人類の進歩と調和の関連性についてだ。

 

進歩と調和、いや、ちんぽと調和と言うべきか。

 

人類の進歩とちんぽは常に隣り合わせにある。

具体的には何か。

男性器のポジション、いわゆる”チンポジ”、これが深く関わっているのだ。

 

チンポジ”……遡ること1億年前、猿人の登場より常に討論が行われてきた議題である。
猿人の登場により、地上初の二足歩行が叶ったわけだが、ここで非常に大きい問題が起こった。

 

そう、男性器、あえていうなら”ちんぽ”が宙をブラリしているのだ。

 

四足歩行ならばブラリしても、男性器は真後ろから見ない限り目立つことはなく、文字通り死角なし、と言ったところだった。
だが、二足歩行になったことによりそれまで守られていた陰部は矢面に晒され、結果常に危険と隣り合わせになったのだ。

 

さて、ここで一つ問題を定期させていただきたい。

人間は古くから常に争いあってきた。

領土、人種、信仰する神、香辛料を賭けて争ってきた。
この起因を皆さんは考えたことがあるだろうか?

答えはフルチンにある。


陰部が矢面にたち、常に危険にさらされるようになったことにあるのだ。
二足歩行が始まって700万年、ここから常に陰部が危険にさらされることになった。
そして人々は四足歩行の時にあった安堵感、やすらぎを失った。

 

常に陰部、すなわち急所を狙われることになり、それまでの豊かな精神も、助け合う心も消え失せてしまった。
大事なものを守るために攻撃的にならざるを得なくなったのだ。

 

現在Twitterで常日頃行われているフェミニストと正義マンの戦い、芸能人へのバッシング、匿名であり、危険性が限りなく低いながらも攻撃力は優れたインターネットという武器を持った政治批判マン。
彼ら彼女らも討論しているのは、その論題に対して怒っているからではない。
結局、陰部が露出してしまって、それを守るために常に攻撃的になってしまったからなのだ。

 

そう、本質はフェミニストにも安倍政権にも憲法9条にもないのだ。

 

全ては陰部にある

 

 

頭、心臓、陰部と黄金の防御ラインが成立していたのにもかかわらず、それをあえて崩し、頭、心臓、陰部と全ての急所を最前線一直線に出してしまったのは大きな間違いと言えるだろう。
二大急所元来隠さなくてよかったはずの陰部を隠すことになってしまったのは、間違えなくストレスになる。
それまでフルオープンで、それこそが正装だった我々が堅苦しい鎧を見に纏うのは想像以上に精神的ダメージが大きい。

 

フルチンによる精神的ダメージは、こんなところにも数値として表れている。

四足歩行であった1億年前の大学生と現代、二足歩行で生きる大学生の留年率を比較する。

1億年前の大学生の留年率が0.00%なのに対し、2018年現在、最も1億年前の猿人類に近い我が大学、私の所属する学部の生徒の留年率を見てみる。


なんと、留年率は25.9%に及ぶ。

明らかに1億年前の大学生の方が留年率はひくいことがわかる。
ここには、1億年前と現代の環境の違いが大きいと考える。


特に、四足歩行により陰部を心臓より後ろに構え護れていることでの安心感、陰部を露出していることによる開放感は間違えなく集中力を増加させる。

これが留年率が低い要因と考える。

現代の人類は、陰部が心臓よりも後ろになく、安堵とは程遠い生活を送ることになっている。

そして余裕がなくなり、常に攻撃的になり、勉学に集中できず留年すると考察する。

 

こうした背景を念頭に置いた上で改めて問う。

果たして本当に人類は進歩していると言えるのだろうか。

ちんぽを晒して進歩を得た、多くの人々はそう思うかも知れない。
「ちんぽは進歩と関連している」、ケツを丸出しにしていたような人類がよくいうぜ。

 

確かに人は常に何かを犠牲になにかを得てきた。
4本の脚のうち2本を削り、今では精神を削っている人間、いや、日本人。

本当にこれでよいのだろうか、果たして我々人類は本当に前へ進んでいるのだろうか。

 

 

そろそろ結論に入りたいと思う。

 

 

 

ちんぽがどうだろうが別に関係ねーわ。